2001 3 31(土)    晴れ時々曇りのち雪

 ◆◆◆ 穴水−輪島間最後の日 ◆◆◆ 



穴水−輪島間を走る列車には記念のヘッドマークが付けられた

昨夜青森を発った寝台特急「日本海4号」は、定刻6時20分、金沢に到着した。日ごろ「18きっぷ」ばかり利用している私にとって、寝台列車はかなり高価な乗り物だが、それだけにもたらす効果は絶大だ。昨日は一日下北半島をうろついていたというのに、もう今朝は、はるか数百キロも離れた北陸の地にいるのだから。しかも一晩ベッドでぐっすり眠れるので、疲れを持ち越すこともなく、早朝から快適な一日を送れる。七尾線の接続はスムーズで、七尾でのと鉄道に乗り換え、穴水へとやって来る。6日前に来たときにはまだなかった「65年間ありがとう」と描かれたヘッドマークが列車に取り付けられ、いよいよ最期の時が来たことをいやでも思い知らされる。



お別れイベントで賑わう輪島のコンコース

まだ朝早いせいか、輪島行の列車はさほどの混雑もなく、おかげでのびのびと車窓風景を堪能できる。次の能登三井までは11キロもあり、28パーミルの勾配が続く山岳地帯を行く。その走りっぷりは迫力に満ちていて、谷を見下ろす見事な展望にしばし釘づけとなる。だがこんな景色が見られるのも、あと数時間となってしまった。能登三井、能登市ノ瀬と過ぎ、終点の輪島へは約30分で着く。列車を降りると、駅は異様なまでの熱気に包まれていた。大鍋による豚汁が無料で配られ、人、人、人の大群で、外に出るのも一苦労というありさま。鉄道部品の即売会にも人だかりができていて、まるで今日鉄道が開通したかのような賑わいだ。



駅にも数々の思い出が…

雑踏の中にしばし身を置いた後、また幾度となく穴水と輪島の間を行ったり来たりして、しかとその風景を見届ける。この前降りた途中にある能登市ノ瀬と能登三井にも再度訪れて、最後の別れを告げてくる。小規模ながらも駅前に商店が連なる能登三井は、地元商店会の人達で賑わっていた。この駅は、外観は普通の木造駅舎だが、喫茶店として改装されているので、このまま第二の人生として余生を送るのかもしれない。けれども列車がやって来ない以上、ここはもう鉄道の駅ではなくなるわけで、そのことを思うと、やはり寂しい。前回訪れた時に「廃止まであと6日」と書かれた日めくりカレンダーも、「65年間ありがとう」の文字に変わっていた。



輪島ではお別れセレモニーが始まった

時間が経つにつれ、列車の混雑も次第に激しくなってくる。一昔前の鉄道全盛期の頃は、いつもこれくらい乗客がいたのだろう。輪島の賑わいは相変わらずで、今度は餅つきが始まった。これが何か他のイベントで盛り上がるのなら素直に喜べるのだが、事情が事情なだけに、心境は複雑だ。いつしか日も暮れ、最期の瞬間が刻々と近づいてくると、さすがに熱いものが込み上げてくる。花束の贈呈やブラスバンドの演奏など盛大なセレモニーが行なわれ、いよいよボルテージは最高潮に達する。そして最終列車の入線が近づくにつれ、輪島駅のホームは、最後の列車を見送りに来た人達でごった返すこととなった。



能登三井における最終列車の見送り

最終列車の出発は最高に華やかだった。紙テープが用意され、テレビカメラのライトを浴び、大勢の人に惜しまれる姿は、列車冥利につきるといえる。そして定刻より20分くらい遅れて、最終列車は輪島の駅を発車した。もう二度と引き返すことはないのだ。沿線の家々からも多くの人が手を振り、別れを惜しんでいる。みんな鉄道にはたくさんの思い出があるのだろう。列車は通い慣れた道を坦々と進む。能登三井の見送りもすごかった。狭いホームに人がひしめき合い、いったいどこにこれだけの人がいたのだろうと感心してしまう。列車はさらに遅れたようだが、気に止める人など誰もいない。そして最後の山越えに挑み、無事穴水に到着した。のと鉄道の長い長い一日が終わった。

 

この日の乗下車駅

のと鉄道
・穴水

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


         
3月30日

4月1日